昨日に引き続き、ゴリラのココのお話です。
1985年、ココの最初のペット、猫のオールボールが死んでしまった時の記事をLos Angeles Timesのサイトで見つけました。未熟な英語学習者ですが訳に挑戦してみます。誤りはすみません、ご容赦いただけると幸いです。原文はこちらです。
以下が訳になります。
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話すゴリラ(手話ができる)として知られるココは、車にひかれて死んでしまったペットの子猫の死を悲しみ、そして泣きました。子猫の死から数日後、ココの手話の先生とそのことについて話しました。
13歳のココは、スタンフォード大学近く、ウッドサイドにあるゴリラ財団の研究者によりアメリカの手話を教えられたのちに有名になりました。12年に渡る研究プロジェクトは、類人猿の継続的な言語研究として世界で最も長いものとなります。
研究者によると、ココの好きな絵本の中に”The Three Little Kittens”(3匹の子猫) と”Puss ‘n’ Boots,” (長靴をはいた猫)があり、1年前のクリスマスプレゼントとしてココは子猫を欲しがったとのこと。
財団の生物学者Ron Cohnによると「私たちはココに本物のように作られた動物をあげたのですが、彼女はひどく気に入らなかったようです。」そして「ココはその作り物とは遊ぶことを拒否し、悲しいと手話で話し続けました。」
そのため、前回の7月の誕生日、ココは数匹の中から子猫を1匹選んでも良いことになりました。Cohnによるとココは、灰色と白混じりの子猫をオールボールと遊び心から名付けました。ココは手話で韻を踏むのが好きで、マンクスという種類の猫はボールのように見えたためです。
ココは財団でたくさんの手話の授業やその他の活動もあるため、猫と遊べるのは毎日1時間ぐらいです。
ココとオールボールはナショナルジオグラフィック の今月の表紙を飾りました。(1985年当時)
ココはサンフランシスコ動物園で生まれ、当時スタンフォードの大学院生だったPenny Pattersonは論文課題の一環としてココに手話を教えました。プロジェクトが進行しPattersonはココの後見人となり非営利財団を立ち上げました。財団の生物学者Cohnによると、ココは約600の手話が使えて400以上の手話の知識があります。
この研究について、ゴリラは単に研究者の真似をしているだけで言葉の概念はないと信じる人々から幾らかの批判も受けている、とCohnは言います。
子猫のオールボールは生後4週間で母親に拒絶されてしまい、ココのペットとなるまではテリアに育てられ、230ポンド(104キロ)のゴリラに恐れは感じていないようです。
Cohnによると、子猫とココはともに追いかけあったり、ココはオールボールを抱きしめて慈しんだりしています。子猫はココを人間のように思っていますが独立心も強いため、ココの抱っこに飽きてしまうとココを噛んだり体をくねらせて逃れようとします。
そんな時ココは最初に壁を叩き、そのあと手で自分のほっぺたにヒゲを描いたりして、「ねこちゃん嫌い」と言います。
研究者たちはココの母親としての本能に心を打たれます。ココは子猫に対してよく面倒をみて親切で、そして慈しみました。彼女は子猫を抱いているとき、猫は柔らかくて気持ちいいとよく言いました。
12月の中頃、オールボールは7エーカーある研究施設近くの幹線道路に迷い込み、そしてはねられて死んでしまいました。
私たちがココにそれを伝えた時、彼女はおよそ10分ほど私たちの話が聞こえていないように振る舞いました。それから彼女はゴリラが悲しむ時に発する特徴的な鳴き声を出し始めました。私たちもみな泣き出しました。
ココは、握った自分の両手を頭の横に置いて”おやすみ オールボール”といいました。
だいぶ意訳した部分もあります。また誤りがたくさんあると思いますが、自分でも訳にチャレンジしながら泣けてしまいました。
Los Angeles Timesの英語の原文はこちらです。興味ありましたらご覧ください。