ダメ人間を救ってくれたneko

10代の頃からギャンブルにはまり、辞めたくとも自制がきかず、借金を重ねてはパチンコ・スロット通いの日々でした。勝てばまず安堵はしたものの、負けてしまっていたかもしれない金額を思い返しては背筋を凍らせ、勝った分の浮いたお金も負けるよりはましだと自分に言い聞かせて無駄な出費ばかりしていました。

 

負けている時は、「生活費は残さねば」と考えていても、負けがこんでくると「まだどうにかなる」という思考に変わり、それが「どうにかしよう」に変わり、とうとうその日の晩ご飯代ぐらいしか残らないことも多々ありました。

 

そうするとお金の工面ですが、質屋で預かってもらえる物は毎回恥ずかしい思いをしながらもなけなしのお金として交換してもらい、質屋で預かってもらえないようなCDやDVDですらほんの何百円のために売り払ったものでした。

 

その度にお金のありがたさや大事さを痛感し、二度とギャンブルはするものかと時には涙を流して自分に誓い、心の中で迷惑をかけ続けている両親のためにも辞めようとした固い決意も、次の給料日には完全に意味が無くなります。辞めたいと思う気持ちやお金の大切さを痛感した気持ちは真実ではあったものの、お金を手にすると何者にも逆らえず、パチンコ屋さんに足が向かうのは、もう完全に病気でギャンブル依存症そのものでした。意見は様々でしょうが、これを克服するには他に意識を向けてくれるようなきっかけがないと、一人では難しくおそらくは克服不可能と思います。

 

症状は悪化し、家賃を滞納することは常態化し、ついには住むところにさえ困り、とある巣鴨のゲストハウスで暮らすことになりました。それでも変われず四方八方のパチンコ屋さんにお金をつぎ込んでは生活費にさえ困り、落ち込んでは酒を飲むという悪循環を繰り返していました。

 

そのゲストハウスの近くに、近所の方が飼っているねこがいました。

 

今まで出会ったねこの中で間違いなく一番人懐こいねこでした。一度撫でてあげると足音を覚えてくれたのか、その家の近くを通ると、どこからともなく小走りでやってきては姿を見せてくれるようになりました。自分を探して走ってきてくれるなんて素直に嬉しく、そのねこをとても愛らしく感じはじめました。

 

しかし飼い猫だったため、いつも撫でるだけで餌をあげることはなかったのですが、ちょうどお盆の時期、飼い主さんご家族が留守だったのか、普段ねこが守っていると思われた境界線を超えて、自分についてきてしまいました。

 

3メートルも無いような小さな路地裏で、いつもはそこまで来ると渡ることなく向こう側で立ち止まっては座り直し、両足揃えて背伸びして見送りしてくれるねこでした。

 

ところがその日は自分を追いかけてついてきてしまいました。そしてゲストハウスの玄関までついてきて、戸惑いながら自分が開けたドアの隙間から中に入ってしまいました。もしかすると飼い主さん何日も帰ってきてなくてお腹空いてるのかも知れない・・・。そんな思いから使命感が生まれてしまいました。

 

ねこを一旦ゲストハウスから出して、僕は急いでコンビニまでおにぎりを買いに行きました。ネコが好きそうなお魚系をと思ったのですが、イクラしかなくって、でもまあでもねこってなんでも食べますよねと考えて、とりあえず買いました。そしてまた急いで戻ってとうとうご飯をあげてしまいました。

 

しかし、ねこはイクラには全く興味を示しませんでしたw

 

イクラ嫌いなのかなと思うのと同時に、普通にキャットフードを買ってこなかったことや、なぜおにぎり買ったんだろうと思うと急におかしくなりました。で、コンビニに戻ってキャットフード買って戻り、ねこさんにあげたら数日ぶりにありついたご飯のようにがっついて食べてくれました。

 

その日以来、ねこは自分の帰りを必ず待ってくれるようになりました。

 

そうすると自分の飼い猫ではないにも関わらず、仕事中もご飯食べれてるかなあとか、帰宅中にも今日もお腹空かしてるかなあなどと考えて心配でたまらなくなりました。

 

ずっとやめることの出来なかったギャンブルが、親に申し訳ないと思いつつ借金してまで通ったギャンブルが、たくさん恥ずかしい思いをしながらどうにかお金を工面してでも通ったギャンブルが、この出来事以降それどころではなくなりました。

 

僕を救ってくれたneko